もうRADWIMPSの名曲みたいな書き出しですが
それ以外に言葉がない7月の終わりです。
ついこないだ6月30日【夏越祓】をむかえ、
一年の半分が終わったのか・・・早いね・・
などと嘯きながら「茅の輪」をくぐっていたのですが
あっという間に7月23日 大暑(たいしょ)
あっという間に土用の丑。8月に突入しようとしている。
7月の時間と気温の加速度は半端なかった。
夏ってこんなに暑かったっけ・・・が我々、しょうわ時代の夏の合言葉
我が母校(小学校)では冬に長袖長ズボンの体操着を着用するものは
【軟弱者】と蔑まれるという頭の悪い風習があり、真冬でも体育は普通に半ズボンでした。
自主的にです。なんなら外での雪遊びも。
(半ズボンは死語なのか・・しかし、あれはハーフパンツではなく半ズボンという呼び名が相応しい。余計だがブルマは絶滅したのだろうか?)
ので、わりと寒さには強い。氷点下の雪かきの際でもシャツ一枚が定番です。だって汗かくし。
だがしかし、その分暑さには弱い。
先日、大都会より真夏のロックフェスを経由して帰省した妹は、
新潟を「やっぱ涼しい」と言ってのけました。
やはり38°の東京砂漠で、熱風を絡ませて生きている生物は違う。
「練習中に水飲むと怒られる」という狂った時代の運動部で高校生活を過ごした我より、
小中高と基本文化部か帰宅部という、紫外線と無縁の道を歩いてきた妹が暑さに強くなった皮肉。
「生き残るのは強い生物ではなく、変化する生物だ」
(ダーウィン)
二時間水分をとらずに灼熱のグラウンドや炊飯窯の中みたいな体育館を
駆け回る。色々ヤバイ世紀末にガラスの十代を過ごし、
強化硝子のおっさんおばさんになった我々ですら、この暑さは堪える・・・
やはり近年の夏の暑さは前世紀(20世紀)とは違っているのでしょう。
夏には自主的行動制限をかけてやり過ごすと決めているわたくしですが、
先日友人とクーラーの効いた店内でラーメンをすすりながら、スマホを眺め見つけた情報に、
「東港にイージス護衛艦が来てるって!!」「よっしゃ!いくべ!!」
と、帽子もかぶらず、Tシャツにハーフパンツという夏休みスタイルで駆けだしました。(車で)
しかし東港に到着し、誘導された駐車場から歩きながら、
「日焼け止め持ってくりゃよかった・・」と暑さに心がくじける。
(ちなみに友人は車検の礼にもらった「J〇北越後」のタオルをためらいなく首に巻いていた。加齢と羞恥心は反比例する)
しかし間近で見るイージス艦の迫力に驚嘆し、そんな後悔はふっとび
帽子を現地調達し、じりじりと焼かれる腕をかばいながら見学希望者の列に並びました。
乗船してまず第一声は
「あっっっっつ?」
サニー号じゃなく軍艦ですから、もちろん金属。
遮熱塗料はしっかり塗っていても夏の甲板は焼けた鉄板の上にいるようなもの。
そんな甲板上、白いセーラーカラーの制服をきっちり着用した
海上自衛官の方々は、みなさん親切で礼儀正しく、さわやかでした。
毎週木曜朝は出勤前にコンビニで週刊モーニングの【沈黙の艦隊】の立ち読みが生き甲斐だった・・という、
聞く者が言葉に詰まる20代を過ごしたわたくしにとって、海上自衛隊は憧れの存在。
アガる心に暑さも日焼けもなんのその。
また、自衛官さんを質問攻めにしているディープな愛好家や、
強制連行した我が子を同じ沼に引きずり込もうとするお父さん。
彼らのアツい語りを傍え聴きしながら、へーっと学ぶ。それもまた楽し。
艦内は写真撮影OK。下船後はグッズも購入し大満足でした。楽しかった。
【現地調達したブルーインパルス(なぜ空自)キャップ】
一足先に楽しい夏の半日を過ごしたしょうわ時代から
これから夏休みを迎える子供達へひとこと
日焼け止めは忘れずにね。ひどいことになるよ。